LOGIN「……加えて神聖なる神官騎士の甲冑を血で穢したこと、何ら申し開きするつもりはございません。科せられる処分はその重軽を問わず、全て謹んでお受けいたします」
司祭館の講堂に、先刻から無感動な懺悔の言葉が響く。 謝罪の口上を述べて、シエルは深々と頭を垂れる。 白銀の甲冑にこびりついていた返り血や肉片こそ洗い清められていたが、その下に着ている服にはそこかしこに赤黒い染みがついていた。 その姿を大司祭カザリン・ナロード、そしてジョセは無言で見つめている。 そんな両者の前にひざまずき、身動ぎせず裁定が下されるのを待つシエル。 そんな弟子の様子を沈痛な面持ちで見つめていたジョセは、重い吐息をもらしてから大司祭に向き直った。 「……猊下、ご裁定を。無論彼の師である私も、その責務は負う所存です」 その言葉に打たれたようにシエルは顔を上げる。 そして、必死の思いで告げた。 「すべては自分一人の判断で行ったことです。師匠に何ら責はありません。咎は自分一人で……」 けれど、不意にその言葉は途切れた。 正面に座す大司祭と視線がぶつかったからだ。 悲しげではあるが、常とは変わらぬ穏やかな視線である。 その内心をはかりかねて、再びシエルは頭を垂れ目を閉じる。 と、大司祭は目を伏せ、ゆっくりと頭を揺らし重い口を開いた。 「……これは、あまりにも大きな問題なので、私の一存では決められません。全てをリンピアスに報告し、大司教府と見えざるものにその判断を委ねましょう。そして……」 おもむろに大司祭は立ち上がり、静かにシエルに歩み寄る。 その気配を感じて身を硬くするシエルの前で立ち止まる。 「……猊下?」 不意に感じた温かい気配に、シエルは恐る恐る顔を上げ目を開く。 と、大司祭の顔がごく間近にある。 次いで、その細くて華奢な腕が自分を抱きしめようとしていることに気がついた。 「猊下、いけません! 穢(けがれ)が移ります……」 あわててシエル翌日、表面上は何事もなく日勤を終えたユノーが引き継ぎを済ませ帰宅しようとしていた時、声をかけられたような気がして振り向くと、柱の影にペドロがたたずんでいた。 「……シモーネ嬢から連絡がありました」 その言葉に、ユノーは自らの心臓が飛び跳ねるのを感じたが、つとめてそれを表情に出すまいと努力して言葉の続きを待つ。 「正式に公爵閣下のお許しが出たそうです。いつでも受け入れる準備ができた、と」 はやる気持ちをおさえて、ユノーは一つうなずく。 それから、緊張でややかすれた声でたずねる。 「では、決行はいつ?」 「できるだけ早い方が良いでしょう。幸い明後日の夜は常闇に当たるので、都合がいいかと」 そう言うペドロにユノーはもう一度うなずき、とある疑問を口にする。 「わかりました。ですが、シグマさんとトーループ閣下には……」 「シグマにはすでに伝えました。将軍閣下には配下の者をやり、つなぎはつけました」 もはや、後戻りはできない。 両の手を固く握りしめるユノーは淡々とした口調で続ける。 「日付が変わる頃合いで出立します。場所は、中央広場」 そう言い残すと、ペドロの姿はいつの間にか消えていた。 ※ 中央広場から地下水路に潜り、足首まで水に浸かりながら闇の中をランプを頼りにどれくらい歩いただろう。 皇都の地下に張り巡らされている水路は、長身のロンドベルトでも余裕を持って歩けるほど天井が高い。 そのロンドベルトは、地図を見ることなく歩を進める。 万一その人がいなければ、迷路とも言える水路の中で確実に迷い、二度と光を見ることはできなくなるだろう。 そんなことをぼんやりと考えていたユノーを、シグマの声が現実に引き戻した。 「なあ坊ちゃん、斥候隊長は大丈夫かな?」 そう、ペドロは戻ってきたユノー達を拾いフリッツ公の屋敷へ送り届けるために中央広場に待機しているのだ。 当然の疑問ではあるが、ユノーは首を左右に振った。 「配下の方もいらっしゃるんですから、こちらより数倍安全ですよ」 そう言うユノーの声は、わずかに震えていた。 無理もない、万一敵に気付かれれば自らの手を血に染めなければならない状況に足を踏み入れたからだ。 けれど、恩人を救うためなら致し方ない。 そう決意を固め、ユノ
重苦しい沈黙が、室内を支配する。 が、それをいち早く破ったのはシグマだった。 「場所がわかったんなら、すぐにみんなで……」 「敵が白の隊とわかった以上、迂闊に動くのは危険です。ここは綿密に計画を練るべきでしょう」 けれど、ペドロがそれを遮って冷静に常識的な意見を述べる。 たしかに、ルウツの正規部隊相手に無策で乗り込んでも、返り討ちにあい全滅しかねない。 ロンドベルト、そしてシモーネもうなずいて同意を示したのがよほど不服だったのだろう、怒気をはらんだ口調でシグマはさらに続ける。 「けど、一刻を争う事態なんだろ?」 苦悩の表情を浮かべると、ロンドベルトは再びうなずいた。 果たしてその瞳にはなにが映ったのだろう。 そう思いつつユノーは彫りの深いロンドベルトの顔をじっと見つめる。 その視線に気がついたのだろう、ロンドベルトはおもむろにユノーに向き直った。 「し、失礼しました、トーループ閣下。あの……」 ユノーの言わんとしていることを理解したのだろう、ロンドベルトは卓の上に肘をつき両手の指を組むと、その上に形の良いあごを乗せる。 それから目を閉じると、わずかに眉根を寄せながらささやくように言った。 「正直……あれは拷問などという生易しいものではありませんでした。生命が尽きる前に心が壊れてしまうやもしれません」 言い難い空気が、その場に流れる。 誰もがうつむき言葉を失う。 その沈黙を破ったのは、やはりシグマだった。 「なら、なおさら早く動かなきゃまずいだろ? 大将をこのまま見殺しにする気か?」 それに応じたのは、やはり冷静なペドロの声だった。 「ではお尋ねしますが、首尾よくシエルを救い出せたとして、どこに匿うのですか?」 「……そりゃ……そう、司祭館に……」 「それでは、猊下や他の神官を危険にさらすことになりかねません」 「なら……うちの空き部屋に……」 思いつきで答えるシグマに対し、ペドロは呆れたとでも言うように深々とため息をつく。 「白の隊が大挙してシエルを取り戻しに来たらどうするつもりです? あなた一人で何ができますか?」 眉一つ動かすことないペドロに対し、シグマはついに怒りをあらわにした。 「じゃあどうすればいいんだよ! 斥候隊長は大将を助けたくないのか?」 激高するシグマを
疑わしい貴族の屋敷を一つ一つ潰していくロンドベルトの額には、いつしか玉の汗が浮かんでいた。 その顔色も、目に見えて青ざめている。 しかし、未だその人を見つけることはできなかった。 「少し、休まれてはいかがですか?」 当初は疑惑の視線を向けていたシモーネが、以外にも一番始めにロンドベルトの体調を心配する声をかける。 同じく懐疑的な印象を抱いていたであろうシグマが杯に飲み物をついで、ロンドベルトに向かい差し出した。 「そうだよ、さっきからぶっ通しじゃねえか。……ひでえ顔色してるぜ?」 それらの言葉を受けたロンドベルトは、大きく息を吐き出すと額の汗を拭い、わずかに苦笑を浮かべた。 「情けないものですね。昔は無数の『草』の様子を見てもなんともなかったのですが」 言いながら杯を受け取ると、ロンドベルトは一気にその中身をあおった。 そして、再び息をつく。 「大口をたたいたにもかかわらず、お役に立てず申し訳ない限りです」 しかし一同は等しく首を左右に振った。 そして、シモーネは申し訳なさそうに目を伏せた。 「いいえ、もっと対象を絞り込んでいればいらぬ苦労をおかけしなくても済んだんですが……」 「公爵閣下も、今はお立場が以前とは違いますから。仕方がありませんよ」 遠慮がちにそう告げるペドロに同意を示すように、ユノーはうなずいた。 確かに愚昧公と呼ばれていた頃とは異なり、フリッツ公は今やこの国の皇帝になるかもしれない存在である。 当然、四六時中護衛に囲まれて、不自由な生活を強いられているらしい。 「……それにしても、他に手がかりになるような物は無いのでしょうか? それなりの数の軍勢をうごかせる、というだけでは……」 あまりにも抽象的で雲をつかむようだ、とロンドベルトは言う。 確かにそのとおりだった。 戦闘部隊を軍として統括し、国だけが動かすことができる権利を持つエドナとは異なり、ルウツでは大貴族が私兵とも言える配下の騎士団を持っている。 何か、決め手になるものは……。 そこまで考えが及んだとき、ユノーはあることを思い出す。 次の瞬間、こんな言葉が口をついて出ていた。 「申し訳ありませんが、あと一か所だけ見ていただくことは可能ですか?」 一同の視線が、ユノーに集中する。 一体何事かと言わ
「私も仲間に入れていただけませんか?」 そう言うロンドベルトの顔には、笑みはない。 どうやら今までの会話はすべて聞かれていたらしい。 やはり自分が尾行されていたのか、と肩を落とすユノーに向かい、ロンドベルトはあわてて言葉をかける。 「先程私が話したことは、すべて事実ですよ。宿舎の食事には本当に飽きましたので。私がここにいるのは、全くの偶然です」 そう慰められてもユノーの気持ちが晴れるはずもない。 うつむくユノーをよそに、ペドロは鋭くロンドベルトをにらみつける。 「では、その言葉を信じるとして……。どうしてあなたは、かつての敵であるシエルを助けようなどと思うのです?」 一同の視線を一身に受けて、ロンドベルトはわずかに苦笑を浮かべる。 そして、いつになく穏やかな口調で切り出した。 「そう、ですね。強いて言えば、借りを返したいといったところでしょうか」 聞けば、ランスグレンにおける最終決戦のおり、シエルは戦意を失ったロンドベルトをあえて撃たなかったという。 「不思議なことに、敵に情けをかけられても怒りはわきませんでした。ですが、恩義は返すべきだ。そう思いまして」 言い終えて、ロンドベルトはわずかに目を伏せる。 『黒衣の死神』と恐れられるその人らしからぬ表情に、一同は等しく絶句する。 それを意に介すことなく、ロンドベルトはさらに続けた。 「無論、立場が立場ですから、無理強いするつもりはありません。そして希望が通らなかったとしても、他言するつもりはありません。ですが、少なからずお力にはなれると思うのですが」 「それは一体、どういう……」 相変わらず厳しい表情を浮かべたままのペドロ。 その隣に立つユノーは思わずあっ、と声を上げた。 同時にシグマも何かを思い出したかのように、ぽんと手を一つ打つ。 そんな二人の様子に、ペドロとシモーネはわけがわからず首をかしげる。 予想通りの反応に含み笑いで応じてから、ロンドベルトは改めて自らの『瞳』に隠された事実を両者に説明した。 なおも疑いの眼差しを向けるペドロに対して、シモーネは興味深げにロンドベルトに尋ねる。 「では、将軍閣下は見えざる瞳であらゆるところを見ることができる、そうおっしゃるんですか?」 「少なくとも、昔は。今は多少カンが鈍っているかもしれません
朱の隊は、朝からある話題で持ち切りだった。 なんでも昨日深夜に司祭館から救援要請があり、急ぎ当直の部隊が駆けつけてみたところ、当の司祭館は誰もそのようなことはしていないと言うのである。 その言葉の通り周辺は静まり返り別段変わった様子もなく、駆けつけた部隊は何かの間違いだったのだろうと考えて戻ってきた、ということだった。 「司祭館を騙ったいたずらか。誰だか知らんが罰当たりなことをするやつがいるな」 そう言う先輩隊員に、ユノーは曖昧な表情を浮かべてうなずいて返す。 だがその心の内には言葉になりきらない違和感がくすぶっていた。 それが一体何であるのか自分でも理解できぬまま彼が午前中の任務についていたときである。 かすかに名を呼ばれたような気がして、ユノーは立ち止まり周囲を見回す。 と、柱の影でペドロがこちらに向かい手招きをしていることに気が付いた。 その顔には、戦場さながらの緊張感が張り付いているようである。 一体何事かと疑問に思いつつ、ユノーがそちらへ歩み寄ると、彼が挨拶の言葉を口にするより早くペドロはこう切り出した。 「今夜、シグマの店に来ていただくことは可能ですか?」 訳がわからず、ユノーは思わず首を傾げる。 なぜなら、ペドロは他人を酒席に誘うような人柄ではないからだ。 それが一体どういう風邪の吹き回しだろう。 そんなユノーの内心の疑問に答えるように、ペドロは言葉を継いだ。 「詳しくは、シグマの店でお話します。ここではどこにどんな目が光っているかわかりませんから……」 いつものぼそぼそとした口調は、だが切羽詰まっているように思われた。 どうやら何かあったらしい。 しかも、相当に大変なことが。 「わかりました。今日は日勤なので、終わり次第伺います」 そのユノーの返答に、ペドロは目に見えてほっとしたような表情を浮かべる。 が、それをすぐにおさめると、こう続ける。 「ありがとうございます。この件は、くれぐれも他言無用でお願いします。例え殿下であっても」 はて、と再びユノーは首をかしげる。 ペドロの方が自分よりもはるかにミレダに近い立場にあるはずだ。 にもかかわらずこのようなことを言うとは、一体どういう訳だろう。 戸惑いを隠せずにいるユノーに向かい、くれぐれもお願いしますと
広間を出たところで厳重に目隠しをされたシエルは、追い立てられるように歩かされた。 途中、階段を昇り降りしたのだが、果たしてどこをどうそしてどれくらい歩いたのかはわからない。 だが、辛うじて理解できたのは、おそらくは皇都を出てはいないだろうということくらいである。 ということは、彼らは皇都から湧き上がって来た、ということになる。 本当に皇都には何が潜んでいるかわからない。そこに巣食うモノたちは、得体がしれない。まさに魔窟だ。 そうシエルが心のうちで皮肉に満ちた笑みを浮かべていた時、ようやく先行きの見えなかった行軍は唐突に終わりを告げた。 目隠しを外された視界にまず入って来たものは暖かな応接間ではなく、冷たい石造りの壁と床だった。 所望されている割には歓迎されてはいないらしい。 そんなことをシエルがぼんやりと考えていると、かすかな光が近付いてくるのが見えた。 と、周囲を固めていた騎士達は一斉にそちらへ向かいかしずく。 迎え入れられたのは、この冷たく殺風景な空間にはいささか不似合いに見える豪奢な服装に身を固めた女性だった。 女性は自らにかしずく騎士達には一瞥もくれず、まっすぐにシエルに向かい歩み寄る。 そしてその正面に立つなり、労働を知らぬ白く細い手で彼の頬に平手打ちを浴びせた。 呆気にとられるシエルに向かい、女性は開口一番こう告げた。 「ひざまずきなさい。無礼でしょう? 私を誰だと思っているの?」 そう激高する女性の顔を、シエルは訳も分からずまじまじと見つめる。 うなじ辺りでまとめたゆるく波打つ赤茶色の髪に、異様な光を湛える宝石のような青緑色の瞳。その容姿は彼がよく知るとある人物と告示している。 なるほど、とシエルは納得したものの、なぜ自分がこの場に引き出されたのかは未だにわからない。 そうこうするうちに、周囲の騎士達はシエルの肩に手をかけ腕を取り、無理矢理に膝を折らせようとしてきた。 しかし、意外にも目の前に立つ女性は、片手を上げると騎士達を制した。と、その背後に付き従っていた小肥りの男が声を上げる。 「へ、陛下、よろしいのですか? このような無礼者……」 「構いません。道理と礼儀をしらないなら、教えてあげれば良いのだから」 言い終えると、陛下と呼ばれた女性は改めてシエルを鋭く睨みつ







